約3ヵ月間お疲れ様ありがとう長義!~徳美のもてあた~
皆さんこんにちは。懇親会編が講演会編3部作で力尽き上げられず申し訳ありません。約3ヶ月間の本作長義特別公開の振り返りと共にその辺りも少しお届けしたいと思います。
【3月某日】
前準備
尾張徳川の雛祭り
友の会に入会と去年買ってなかったグッズを購入。
この日は広場でフリマもやっていて、ちょぎみを感じる色のアクセサリーも購入。美しい青だね。
徳美前の東海桜はまだ蕾でした
【3月26日】
本作長義特別公開初日
東海桜がまるで長義の初陣を祝うかのように見事に開花していました!!
※東海桜は開花時期が早い。
刃文が桜花に例えられる本作長義特別公開初日がこんな良き日なんて幸先がいいね。
そして京のかたな展以来の本作長義と対面……。
うおおおおお新鮮な本作長義だあああああ!!!!
なんか一振だけ下に黒の敷物轢かれて、ふんぞり返ってるうううう!!!
しかも蔵帳+折紙+白鞘まで出してくれるとは(泣)
京の刀展ではスクワットしなくても刃取りの上にブワッと湧き上がるような刃文がよく見えたのですが、ご実家ではやはり刃文見るにはスクワットです。でも見方や角度によって様々な一面を見れるのが本作長義の鑑賞の魅力かなとも思います。
平日でそろいぶみ前なのでおそらくガチ勢と思われる方がずっといるくらいで、まったりしっかり久しぶりの長義を鑑賞出来ました。
名刀スタンプラリーも長義推し♡
とても良い天気なのでお庭も楽しみました。
徳川園の鯉はいつも元気いっぱい
【4月初旬】
2回目の本作長義!この日は閉館間際を狙ってマンツーマンで長義を堪能しました。
(友人曰く、刀はマンじゃないからマンツーソードらしい。)
悲報:スクワットしすぎて翌日筋肉痛
徳美から歩いて10〜15分ほどの人気塩ラーメンのお店に行くなどした。美味しい。
【徳川将軍ゆかりの名刀展前日】
グッズはそろいぶみ前日に買えると知って念の為前日ゲットするため16時20分ギリギリに駆け込み。
(明日この判断は正しいと知る)
今年は長義グッズが豊富じゃぁ〜
折紙のレプリカまで出ちゃったよ
毎年可愛いグッズを出してくれるセンスの良さに感謝。
長義は少しだけ見ました。明日からのそろいぶみ沢山お客さんくると思うけど頑張ってね。
(明日予想以上に大変なことになる)
【徳川将軍ゆかりの名刀展初日】
なんじゃあこりゃあーーーー!!!!
チケット売り場も、ミュージアムショップも、館内も人!人!人!
ココハホントウニトクガワビジュツカンデスカ?
長義最前展示は120分待ち表示まで……嘘やろ
この日は長義は並ばず後ろから見て、企画展「雅を伝える」をまったり鑑賞。聚楽第の資料もある〜
「徳川将軍ゆかりの名刀展」も初日は最前レーンが作られて無かったので中々のワチャワチャ。それでも順番待ちしながら見えました。南泉、鯰尾、物吉、後藤も去年ぶり!
そして密かなお気に入り池田正宗も。打ち傷が去年より見辛いかな?
デアゴスティーニ第3号も宜しく
『週刊 日本刀』第3号の巻頭は名物・池田正宗!実物大グラビアで、躍動的な飛焼までご覧ください!日本刀ストーリーは「新選組と刀」。隊士とその愛刀はどのように生き、戦ったのか?刀匠伝は、同じく幕末期に人気を博した「虎徹」の刀工、長曽祢興里虎徹入道。3号の発売は6月18日です! #デアゴ刀 pic.twitter.com/8oOAseT96G
— デアゴスティーニ・ジャパン (@DeagostiniJapan) June 13, 2019
【休憩】
横浜旅行中に突然のそろいぶみ期間延長決定!
やったぁあああああ!!
しかも南泉、鯰尾は裏側だと〜これも徳美のもてあた?
【4月30日】
貸切夜間鑑賞会
そして平成最後の長義
平成最後の夜に徳美貸切夜間鑑賞に行ってきたレポ - yuu_honba’s diary
追加新作グッズも購入。狼だ!カッコイイね長義!!
【5月1日】
令和初の長義
昨日のよる散々見たのに、どーしても令和1日目に長義に会いたくて、午前中だけ行きました。せっかくなら万葉集もこの日にもう一度見たかった。
初めて長義最前レーンに並びました。並びながらこんなに沢山の人が長義を見に来てくれて本当に嬉しいなぁと改めて思う等した。
そして過去一番にバズったツイート↓
みんなーーーとくびの体験コーナーで、撮影OKなタイプの実物大本作長義を手に取れるぞーーー!! pic.twitter.com/2ahOJePUPI
— ゆう(*ΦωΦ)ノ✨ (@yuu_honba) May 1, 2019
【5月11日】
本作長義講演会
講演会感想は過去の三部作参照。
本作長義(以下58字)名刀物語~長義過激派が守り、伝えるもの~ - yuu_honba’s diary
長義の傑作~本作長義は超おもしろカッコイイぜ☆~ - yuu_honba’s diary
ドラマチック長義~昔の人は細かいとこまで気にしない~ - yuu_honba’s diary
そして講演会後、長義の歴代蔵帳見てから、裏側を見に第一展示室に向かうと……
!?
!??
!!???
なにこれ……すごい……すごい
おもてなし精神がすごい。これも徳美のもてあた?
こんな素敵空間で全国各地から長義の為に集まってくれた皆さんと一緒に楽しい時間を共有出来る日が来るなんて……2年前1年前の私では想像も出来ませんでした……なんかもう……すごい……みんな長義の事が大好きなんだね
長義の裏側は表より滑らかでお上品に感じました。私的には表は動、裏は静な印象。
【6月1日】
名刀展後期ギリギリ滑り込み~。
まさかの名刀展後期は1回だけ来館という自体に……。
えーと、某プリズムの煌めきな映画や、某国を憂いる犯罪卿のミュージカル見に行って他の事でめっちゃ遊んでたせいです。オタクって楽しい事が多くて忙しいな!
長義は16日までだから後ろから見て、後期刀と南泉&鯰尾の後姿をしっかり見てきました。360度見れるケースいいよなぁ。
池田正宗ともお別れ。池田正宗は夏に第一展示室にも展示されるのでよろしくね!
夏の徳美きっさでかき氷食べようぜ。
メレンゲキッスもギリギリでやっと買えた♡
【6月9日】
名刀展が大盛況の中終わり。新たな企画展「裂の美」
裂がまるまる1枚残っていたり、いい保存状態で残っているの流石尾張徳川家。略してさすおわ。
注目の刀袋も綺麗な状態で残ってました。物吉の刀袋はなんだかみんな可愛いね。
ところで物吉にこれだけ刀袋あるなら、池田正宗にもあるんじゃない?(本差&脇差の関係と聞きました。事実確認はしてないので悪しからず。)
一番印象強かったのは物吉刀袋の後ろに展示してある丸々と太った山羊さん。
ちょぎカップは順番待ちもなくまったりムードなきっさでノンビリ食べました。
きっささん本当にお疲れさまでした。どんなに忙しくてもいつも笑顔で応対してくださりありがとうございます。夏はかき氷食べに行くね。
菓子切長義で見事に真っ二つに!お見事!
すっかり落ち着いた列も無い第一展示室で閉館前1時間、邪魔にならないように退きながらずーと長義を見てました。刃文スケッチも試みたけど私には無理でした。残念。
ご一緒してくれた方がここコアラと言うから、もうそれが可愛くて可愛くて仕方ない。
【6月16日】
本作長義特別公開最終日
爽やかないいお天気だ〜。日差しが暖かくて風が気持ちいい。約3ヶ月前の本作長義展示初日みたいだ。あの時はまだ肌寒くてコート来てたけど、気づけば夏服で出かけられるぐらいの季節になっていました。
最後のちょぎカップを食べて、全ての展示を一周して、閉館30分前は自然とケース前に集まった長義好きさん達と一緒に閉館ギリギリまで長義を鑑賞しました。幸せだった。
思い出せば去年の夏の本作長義展示最終日は、予定で閉館までいられなかったし一人だったし、帰りは傘無いのに大雨が降ってきて大変でした。
怒涛の約3ヶ月間でした。本当に色々あったなぁ〜。私はとにかく楽しかった。色んな経験も出来たし、知れたし、教えてもらえた。何よりも去年までずーと一人で長義見てたけど、同じ徳美好きや刀好きや長義好きさんと顔見知りになれたのが大きいです。これも長義が繋いでくれた何かのご縁なのかなと思います。
東海桜が花開いた3月の終わりから、仲夏の力強い緑が眩しい6月の中旬まで約3ヶ月の本作長義特別公開が本日終わりました。長義ありがとうお疲れ様。私達をいつも温かく迎え入れてくれる徳川美術館様今年も本作長義を展示してくれて本当にありがとうございました。またくるね。
最後泣くかなと思ったけど、沢山の人がいてくれたおかげで想像してたより和気あいあいとしたラスト長義になって、涙は出ませんでした。まぁ今ブログ打ちながら泣いてるんだけど。
……さて
しんみりしている暇はない!
次は秋田だ!!秋田行くぞ!!!!飛ぶぞ!!!!ジャーーーンプ!!!!
【おまけ】
長義講演会後に原先生に質問した件。展示解説はテーマや担当さんによって結構違って来るんだなぁと。私はそうやって色んな見方があるの楽しいと思う。ここにこう書いてあったからこう言われてるから、これが絶対!じゃなくてね。
だから秋田の展示では本作長義にどんな解説付くのか楽しみ。
上記に対して講演会後に個人的に質問:
— ゆう(*ΦωΦ)ノ✨ (@yuu_honba) May 11, 2019
2018年の徳美の戦国展示では「小田原で敗戦濃厚となり銘入れ~その長い銘から長尾顕長の決死の覚悟が伝わる」的な解説だった(正確に覚えてないので簡単に書いてます)
これを読んで顕長様が長義で戦う覚悟の銘入れと思ったが今日の講演会では違った#長義感想
ドラマチック長義~昔の人は細かいとこまで気にしない~
とうらぶの山姥切長義は実家に否定されて気の毒だね。
え、違うでしょ。徳美は山姥切長義ファンも歓迎してくれてるよ。
でも講演会で本作長義は山姥切ではないってバッサリ否定されたよ!
そんな会話を聞きつけたからには、ひとこと言わずにはいられない。
なぜなら……私は長義過激派だから!
皆さんこんにちは、5/11徳川美術館の長義講演会レポ&感想の後編になります。
前編&中編を読んでいない方はこのレポのスタンスも書いてあるので、是非先に読んでいただけると幸いです。
本作長義(以下58字)名刀物語~長義過激派が守り、伝えるもの~ - yuu_honba’s diary
長義の傑作~本作長義は超おもしろカッコイイぜ☆~ - yuu_honba’s diary
レジェメに記載ない原先生発言はオレンジ
レポ主の感想(心の声)はグレー
レポ主が強調したいところはブルーで記載します。
【本作長義名刀物語~山姥切長義~】
今まで2回に渡り本作長義講演会レポをお届けしましたが。一向に山姥切伝説まで辿りつかない!!昭和に入りようやく山姥切伝説が出てきます。
・「山姥切」の初出
『新刀名作集』大阪刀剣会…昭和三年
山姥切国広の説明に山姥切の由来が書かれている。
「北条家の浪人石原くんが妊娠中の妻を連れて信州小諸を通行する時、妻が産気づいてあたふた。
山中の家にいた老婆に妻を預けて薬を求めて帰ってきたら、老婆が生まれた赤子を食べていた。
石原くんは激怒持っていた刀で老婆を斬った。この刀が山姥切と名付けられた。」
新刀名作集に載っている大正九年にとった押形にも山姥切国広と表記されている。
この山姥切国広の山姥切由来が近代に入りどこからポッと出てきたかは不明です。
良くある刀剣売買時に高値で売れるよう箔付けの為に作られた話では?という説を聞いたことがありますが、講演会ではどこから来た話なのかは語られていませんでした。
うろ覚えですが、この山姥切の話は一体どこから来たのか?を講演後に質問された方がいて原先生もそれは分からないと回答していたと思います。
この講演で重要なのは確かに「山姥切国広」と記載された大正九年の押形が昭和三年の資料に載っているという点でしょう。
完全に現代人の感覚なんですが、この山姥切伝説聞く度に妊娠中の妻連れて山越えするなよ……と思います。
またこの昭和三年時点では「長義とよく似たり 長義を写したるか」と、長義の写しの可能性があるという指摘のみされている。
・山姥切国広の伝来
長尾顕長
↓
北条家旧臣・石原甚左衛門
↓
関ケ原合戦時に石原より井伊家家臣・渥美平八郎が譲り受ける
↓
維新後、渥美家が困窮した為、滋賀県彦根曾祢の醤油屋北村へ質入れする
↓
旧彦根藩士・三居氏がが質受けして所有する。
大正九年『新刀名作集』編集前の調査時には三居家が所蔵。杉原祥造氏が押形を取る。
原先生
関ケ原で井伊家家臣の刀が折れちゃったので、石原くんが自分の持ってる山姥切国広を譲った。
そんな気軽に貰えるの!?関ケ原行かなきゃ!
・山姥切国広の再発見
佐藤貫一(寒山)著『寒山刀話』…昭和四十八年
旧彦根藩士井伊伯爵家所蔵時に関東大震災で焼失したとの噂があった。
そのため押形以外は無いと思っていた。以前出版した『国広大鑑』…昭和二十九年にも押形のみ掲載。
しかし昭和三十五年に本間順治氏によって山姥切国広を再発見し井伊家伝来と聞き取り。
原先生
『新刀名作集』には井伊家・家臣所蔵と書かれているのに、それがいつの間にか井伊家所蔵になっている。井伊家所蔵は間違い。
この講演聞くまで、山姥切国広は井伊家伝来だと思っていました……。
中編の蔵帳もそうですが、やはり伝えて行く過程でどこかで間違いは出るのですね。
・佐藤貫一(寒山)篇『堀川国広とその弟子』…昭和三十七年
における山姥切国広の作品解説より
「本作長義と山姥切国広を比較すれば一見してこれはそれを狙った作である事が直感される。
しかも単なる模作ではなく、千刃の動きとすすどしさは長義をさらに強調している。
堀川打のものには正宗、志津を思わせるものがあるが、そこに至る一段階がこの長義へのねらいであり
この作こそは彼の心枝を脱皮せしめる契機となっているのではなかろうか。
この作こそは彼の一生涯中自らかえりみても最も記念すべきそして誇るべきものでもあろう。」
(レジェメから要点のみ抜き出してまとめ)
本作長義を絶賛し、山姥切国広を本作長義の写しとしつつも、山姥切国広の出来も絶賛。
「国広の傑作」であるとも評価されている。
ここまで号に関する言及は無いが、
「この刀は古来山姥切と称しているが号のいわれはあきらかでない。
一説に山姥切の号は、元来この長義の刀に付けられた号で、信州戸隠山中で山姥なる化物を退治したためという。
その写しであるから山姥切国広と呼びならしたという。」
原先生
ここでいきなり出てきちゃった。
しかも場所が違う。小諸と戸隠は60kmも離れてる。60kmも山姥を追いかけたのか!?
ただし本作長義の写しが山姥切国広である事は、専門家がその姿や年代・銘から鑑定してきたのでほぼ間違いない。
本歌と写しを大絶賛ついでに勢い余って号も写したかも☆とか言っちゃったのかな?
姿形を写したから名前も写したのかもね~みたいな。
・その後の学術見解
本間順治・佐藤貫一監修『日本刀大鑑 新刀篇一』…昭和四十一年
「山姥切の号は元来この長義の刀に付けられたもので、信州戸隠山中で山姥なる化物を退治したためといい、
その写しであるから山姥切国広とよびならしたという。」
号のいわれは不明としていたが、四年後に出された本間順治氏の著作では、一貫して山姥切の本家は本作長義と言い切る。
信州戸隠伝説と共に、以後踏襲される。
刀剣会編集『寒山刀剣講座 第一巻 京鍛冶篇』…昭和五十五年
ほぼ同じ内容
本間順治編著『昭和大名刀図譜』…昭和五十四年
ほぼ同じ内容
原先生
コピペか?
このコピペ祭りからの世間への広まりは現代でも良くありますね……。
しかし後編の冒頭で紹介した、昭和三年時点では、山姥切国広が本作長義の写しの可能性があるという指摘のみ。
・文化庁の見解
昭和三十七年 山姥切国広が重要文化財に指定された。
「備前長船長義の刀を写したものと伝えている。山姥切の号のいわれは不明である。」
文化庁も昭和三十七年時の佐藤貫一(寒山)氏の見解を踏襲。
昭和の刀剣界の大先生がそう発表したから、皆がそれを信じたということですね。
しかも日本刀大鑑は当時の刀剣界のバイブルだそうです。
こうやって昭和から山姥切長義の認識が広まったのはとても自然なことだと思いました。
・結論
本作長義が山姥切の本歌と言われ始めたのは、昭和三十七年以降に出された本間順治・佐藤貫一氏の著作で言及されてから。
本作長義を山姥切とする史料的根拠は全く存在しない。
ゆえに
山姥切は国広作の刀剣のみに付けられた号と断定される。
原先生
でもこれだけ山姥切長義が広まればそれもまた名前かな。新山姥切とか?
わぁ!寛容!!
正直この講演会が告知された時は、
うちは本作長義くん呼びだから、皆も本作長義くんって呼んでね~位のこと言われるかと思ってたよ!ガハハハ!
以上で講演会のレポは終わりになります。
【おわりに】
今講演会では本作長義は一体いつから山姥切長義と呼ばれるようになったのか?を追究していくことが
本作長義が歩んできた歴史も一緒に辿ることにもなったのではないでしょうか。
遥か昔、南北朝時代に打たれた長義の刀は
安土桃山時代に後北条家から長尾顕長へ家臣の証として下賜
そして小田原征伐と足利を経て
江戸時代には尾張徳川家へ渡りました。
お殿様の宝物として数々の名刀・名品と共に大切に保管され
昭和(もしくは明治)に一般にも公開。長義の傑作として高く評価されました。
その後、写しである山姥切国広の再発見&大先生方の書籍により山姥切長義の認識が刀剣界に広がりました。
本作長義は元号をまた一つ越え令和の現在、重要文化財として徳川美術館で公開されています。
今講演会では、尾張徳川の記録に基づき本作長義≠山姥切であると結論付けましたが、
本作長義が山姥切長義としても愛されてきたことは何ら変わりありません。
また講師の原先生も最後の冗談からも分かるように、本作長義がこれからも山姥切長義と呼ばれることも否定をしておりません。
私としましては、要は本作長義は山姥切の名を背負える程の名刀であると自信を持って言えます。
これからも各々好きな形で長義を愛していって欲しいと思います。
(もちろん寛容だからと何でもかんでもやって迷惑をかけてはいけませんよ。)
非常に拙い文章でしたが、ここまで講演会編を3回に渡り読んでくれて本当にありがとうございました。
元気があれば懇親会編も後日上げます。
ここから下は私個人の本作長義(徳美)と山姥切長義(刀剣乱舞)に対しての思いになるのですが、長いし重いし自分で読み返して一体お前は長義の何なんだ?とかなり引いたので……
お付き合いいただける方のみ読んでください。
刀剣乱舞の話も沢山出ます(妄想・考察は無いです)
【思うこと】
私は本作長義(徳美)と、山姥切長義(刀剣乱舞)どちらも好きです。
色々と物議を醸した彼らに長義過激派として何を望むでしょうか……。
史実が一番なんだから、刀剣乱舞が史実を取り入れた方がいい?
いやいや、本作長義も山姥切とするべき?
そうではありません。私の一番の願いは、
本作長義(山姥切長義)が何十年何百年と残り続け沢山の人々に愛され語り継いでもらえることです。
ここでいう残り続けるというのは、勿論健全な状態で刀自体が残り続けるのが一番ではありますが、もし何らかの事象で現存しなくなっても、人々の記憶や記録でいつまでも残り続けることです。
(そんな中で本作長義は平成・令和の時代にファン自らによって山姥切伝説を剥ぎ取られていってしまった不憫な刀~なんて、悪趣味な語られ方したらね、まったくもって不本意なわけですよ!遺憾の意!!)
今まで何度も徳美に足を運んでおいてアレですが、別に徳美信者ではないです。
徳美が好きだから長義が好きなんじゃ無くて、長義が在る場所だから徳美が好きなんです。
(ぶっちゃけ、本作長義は山姥切では無いと記載された資料は無い。つまり無いという証拠は無いのだからそこは暈して曖昧にしておいてくれてもいいじゃ~ん。くらいにも思ってます。)
だけど本作長義が現存している以上徳美はうってつけの場所です。
定期的に展示してくれるから見に行ける。ライトなファンも歓迎してくれる。昨年の京のかたな展などのように他所にも貸し出ししてくれる。
本作長義には沢山の人に見てもらえる機会があります。
私の推しはとってもとっても恵まれていると思います。
本作長義は本歌山姥切ということもありちょっと特殊で、刀剣乱舞に実装&キャラメイクされて世に大きく広まるより以前から一定層の人達に非常に愛されてきた刀です。
ご実家も実装前から何度か展示に出してくれてグッズも少し作ってくれてました。
しかし長義が見たくて来館する人が爆発的に増えたのは刀剣乱舞実装後の今回の展示からなのは確かです。
(原先生も「これが世に言う実装ってやつ……?」と言っていました。)
おかげで素敵なグッズが沢山発売され。1時間超え待ちの行列。長義のためのスペシャルイベント開催。お洒落な創作カップケーキまで販売されました。
ここまで盛り上がったのは
とうらぶの山姥切長義がきっかけで本作長義にも興味を持ってくれた人達がいるからこそです。
山姥切長義が沢山の人を本作長義の元に呼んでくれました。
これからも山姥切長義は人々と本作長義の良き架け橋になって欲しいと願います。
なので私はそういった願いを込めて本作長義=山姥切長義とします。
長義が刀剣乱舞に実装された時、本当に嬉しかったんです。
私が嫌なのはとうらぶのキャラだけが好きな人は本作長義を見に来てはいけない
本作長義≠山姥切を受入れられない人は徳美に来てはいけない
と思われることです。
そんなことはない!
本作長義そのものが好き
とうらぶの山姥切長義が好き
元の刀もちょっと気になるかも
長義に山姥切ってて欲しい
どんな気持ちでもいいから来たいと思ったら是非長義に何度でも会いに来て欲しいです。
(来たくなければ来なくても全然OK。)
最後に徳美より配布されていた"とくびぶみそろいぶみ"の告知チラシ裏面の挨拶を紹介して終わりたいと思います。ここまで3回に渡り読んでくれて本当にありがとうございました。
徳川将軍家ゆかりの名刀展は6/2(日)まで。
本作長義の特別展示は6/16(日)までです。あと残り1ヶ月を切りましたが長義をよろしくお願いします。
長義に会いに来てくださいね。
長義の傑作~本作長義は超おもしろカッコイイぜ☆~
本作長義はすごい刀なんだって
えっ違うでしょ。本作長義は名物でも無いし山姥切の号も無いって言われたから
誰に?
徳川美術館に!
そんな会話を聞きつけたからには、ひとこと言わずにはいられない。
なぜなら……私は長義過激派だから!
皆さんこんにちは。日にちが経ってしまいましたが、5/11徳川美術館の長義講演会レポ&感想中編になります。
前編を読んでない方はこのレポのスタンスも書いてあるので、是非先に読んでいただけると幸いです。
本作長義(以下58字)名刀物語~長義過激派が守り、伝えるもの~ - yuu_honba’s diary
前回のブログを書いてから、
本作長義が名刀なのは皆知ってる前提条件だからわざわざレポしないのでは?という声もチラホラ見かけました。
長義ファンにとって当たり前でも、最近長義が気になる方や、本命は他の刀な方には当たり前では無いと思います。人の推しの事はよく知らない。
講演会は非常に注目を集めていたようなので、上記のような方たちも興味があってレポ・感想を覗くと思います。
私としてはあまり長義を知らない方にも、レポを通して長義の魅力を知って欲しいです。
なのでこのブログでは当たり前のことも書いていきます。レポ主がライトな長義過激派なので内容もライトです。
今回より
レジェメに記載ない原先生発言はオレンジ
レポ主の感想(心の声)はグレー
レポ主が強調したいところはブルーにします
【本作長義名刀物語~長義の傑作~編】
前編は長尾顕長所持時代の本作長義のお話をしました。その後
・小田原征伐により後北条家は滅ぼされた。後北条家自体の末裔は現在も残っているが名門戦国大名としての後北条家の歴史はここで一旦終わりを向かえる。
・長尾顕長もその後領地を没収された後、浪人になったと思われる。
おのれ猿めぇ!来年は北条五代祭行ってみたいなぁ
時代は飛んで江戸時代ここからは尾張徳川家に渡った本作長義の記録を辿っていきます。歴代蔵帳の長義ページ画像も見せてもらいました。
・蔵帳記録一…最古の蔵帳記録
尾張徳川家三代綱誠の指料とする為、本阿弥家を仲介して購入。購入時点で折紙付、拵は無し。
本阿弥家が所持していたのか、別の人物が所持していたかは不明。
蔵帳一・折紙共に「山姥切」の表記なし。
長尾顕長所持後の尾張徳川に渡るまで何処にあったのかは長義の謎のひとつのため想像が膨らみます。
原先生
本阿弥家が仲介したんじゃないか?長義所有者は全く不明。刀を売るということはよっぽどお金に困っている。
家の名誉にも係わるので知られたくない。仲介の本阿弥家にも秘密にしてもらったか、尾張徳川家も聞いたが秘密にして記録に残さなかったのでは。
この折紙、僕の生徒にどんなグッズが欲しいと聞いたら「折紙のレプリカ!」とリクエストされた。
そんなもの売れないと思い200枚用意したら2日間で無くなった。全く分からない!
レポ主はそろいぶみ前日に買いに行って、長義の折紙が我家に!キャッキャッ☆してました。
折紙は現物展示に、チケットホルダー裏・手拭い・ちょぎカップの懐紙と今回大活躍!
まさか長義の折紙がこんなに活躍する日が来るとは流石に思ってなかったよ。
購入後長義用の白鞘が作られる。仁一ノ七十九と記載。白鞘に「山姥切」の表記なし。尾張徳川家では鞘と一体になった木ハバキを使用。
原先生
この木ハバキ刀に合わせてひとつひとつ作成する。とても手間がかかり大変!
白鞘を見たいというリクエストもあり今回展示している。そんなものなんで見たいのか全く分からない!
長義に装着されて展示してある金属ハバキは購入する以前のもの。その金属ハバキとセットで使っていた白鞘は使わないので長義購入後に捨てたと思われる。
捨てるくらいならください!
・蔵帳記録二…三代綱誠所持刀の蔵帳記録
・蔵帳記録四…文政七年成立の尾張家刀剣蔵帳
・蔵帳記録五…明治五年成立の尾張家刀剣蔵帳
これだけやたら分厚い。京極夏彦より分厚い。
以上の蔵帳にも全て「山姥切」表記は一切無し。
・蔵帳記録の「名物」「号」について
蔵帳記録には名物には「名物」と記載がある。
なんとココの例で池田正宗の蔵帳画像出してもらえるというラッキー!池田正宗めっちゃカッコいい打刀なんで皆よく見てね。
本作長義の豪壮さが好きな人は池田正宗も多分好みだから。
しかも「享保名物帳」には記録のない御家名物(なんちゃって名物)まで「名物」と記載。 例:大左文字
さらに間違った名物も勘違いで記載。その間違いは明治5年の蔵帳まで間違いのまま引き継がれた。 例:中川郷
蔵帳は事務手続き書類であるため間違った記帳は、そのまま後世にも引き継がれる。
書かれている内容について、後世の者ではその是非は検証出来ない。
逆に文字として書かれていない「本作長義」に「山姥切」の号があることを口頭のみで後世へ引き継ぐことは不可能。
蔵帳管理をしっかりして由緒が正しい徳美ですらこうなんだから他所はもっと曖昧な伝来なのではと思ったり……。
本作長義は「名物」「号」記録も無いし大したことないじゃーんとか思ってる奴いたら、月夜ばかりと思うなよ。
確かに名物は優れた品である証でもありますが、名物以外にも優れた名刀は沢山あり、国宝・重要文化財にも名物・号無し刀剣が数多く登録されてます。
徳美にも国宝の光忠や、国宝の国行などが今展示されてます。
原先生
尾張徳川家では千振以上所持しているので、全てを200年間正確に管理するなんて無理。
オタクに分かりやすい?例え(本人掲載許可済み)
テニスの王子様を一度でも通ったオタクに説明すると徳川美術館は立海でちょくちょく展示される刀剣はレギュラーだと思えばいいよ。それか新テニスの王子様で例えるなら高校生組、展示される刀剣は一軍かな。だいたいのオタクは立海って話すと理解してくれるんだけど……
— はじかみ (@hajikami0009001) May 15, 2019
これが徳美レギュラー陣なのだ!!
つまり徳美で展示されている刀剣はそれだけで名刀of名刀なんです。
「徳川将軍ゆかりの名刀展」約100振以上展示されており、見ごたえたっぷり過ぎて疲れちゃうくらいなんですが、それでも全体の一部の精鋭部隊が出ているのみです。恐ろしい。
・以下リクエストがあったそうで写真を見せてくれました。
原先生 なんで見たいのか全く分からない!
白鞘に納めた刀剣を保管しておく箪笥(葵紋がバーンと入っている。高そう。とてもいい木材使ってそう。)
普段長義達はここで眠っているんだね……。
蔵内の手回しエレベーター
火災対策のため電気の配線はむき出し
もちろん何処にあるかは秘密
見せてもらった写真は他にも公開されているので出してもOK
・本作長義の公開
そんなわけで本作長義は購入後、"尾張徳川家では「山姥切」という認識が無く"江戸自体を通じて近代へ継承された。
原先生
それまで尾張徳川家所持の名刀はお殿様の宝物であるため絶対公開されなかったが
昭和に初めて本作長義も含めて一般公開された。
ここで第1回参加者からの指摘について。なんと明治時代に限られた人のみ公開されて、その時の「尾張徳川の長義」という記録が残っているそうな。
原先生
もうあなたが論文書いてください。
どのみち一般に公開されたのは昭和。そして当時の刀剣界の重鎮・本間順治氏や小泉久雄氏に所属刀剣の鑑定を依頼。
本作長義の鑑定結果が以下になります。
中編のレポ主一番の興奮ポイントなので全部書きます。
尾張徳川家収蔵品台帳(現徳川美術館管理台帳)
大正時代作製~現在まで継続作製
より抜粋
「本間順治鑑定
実に結構、本阿弥の極を附したる刀には腑に落ちぬもの多し。
此の刀はしっかりした短刀に見る長義の出来と確かに同じ。
國広 天正年代関東に居たる証拠ともなりて歴史上貴重なり。
来孫太郎合作に次ぐ貴重なるものなり。」
「昭和十三年四月九日 本間順治鑑定
長義の刀を新刀の鍛冶国広が磨上げたるものなり。
國広の磨上銘ある丈にも非常の珍品なり。」
(※前編で磨上げ自体は別の人で國広は銘入れのみと推測されている。)
「小泉久雄氏鑑定 昭和拾四年五月八日
地金、刃文共に優れ、殊に鋩子出来よく名刀なり 蓋し本工の傑作ならんか、
殊に國広の磨上銘面白し」
大・絶・賛!!
推しが褒められて嬉しく無いわけがないっ……!
しかもここで「本工の傑作」つまり「長義の傑作」と評価されています。
「長義の傑作」声に出して読みたい日本語。
最後の「殊に國広の磨上銘面白し」を原先生が読み上げた時は会場からは笑いが起こっていました。
鑑定結果で笑いまでとれるなんて……
本作長義は超おもしろカッコイイぜ☆
当時の鑑定結果の話も聞けるのは所蔵元による講演会ならではだと思いました。鑑定結果の原文は初公開だと思うのですが(自信がないため間違っていたらスイマセン。)
以上鑑定結果で「本作長義」は優れた出来である事&国広銘の歴史的貴重性を指摘。
ただし「山姥切」に関する言及は無し。
昭和十四年九月三日 重要美術品に指定。
昭和二十四年二月十八日 重要文化財に指定。
大変~!山姥切伝説の話まで辿り着かない~><
ここまででやっとレジェメの6~7割くらいまで進みました。山姥切伝説の話が出てくるのは割と後なんです。
本当は前後編&懇親会編としたかったのですが、前中後編&懇親会編とします。
レポ主に纏める力が無くてダラダラと申し訳ありません。
後2回もお付き合いいただけると幸いです。
非常に拙い文章でしたが、ここまで読んでいただきありがとうございました!
(5/19追記)後編上げました。
ドラマチック長義~昔の人は細かいとこまで気にしない~ - yuu_honba’s diary
【おまけ】
本作長義は尾張徳川家では使用されなかったのか?
5/3講演後、質問してくれた方がいました(本人掲載許可済み)
#長義感想
— どどっぽ (@CherroyTree) May 14, 2019
タグありでも呟きますね。どうしても気になって原先生に(私はその前に別の質問をしていたので)仲良くなった方が聞いてくれた事なんだけど、「本作長義と本差・脇差の関係にあった刀は分からない」という事です。本作長義が尾張徳川家で使われていないと断言は出来ないそうです!!!!
本作長義の拵は残ってないため使用されなかった可能性は高いですが、
尾張徳川家での使用有無は”本作長義が使用されなかった”という記録は無いので実際どうだったかは分からないそうです。
拵が無いならこれから作ればいいじゃない!(無茶ぶり)(お金はファンから集めて)
……
……ん?
無いという記録が無いから真相不明ということが言えるなら……
”本作長義は山姥切では無い”と明記されている資料は無いのだから……
本作長義≠山姥切とは言い切れないのでは……
……
……これ以上考えてはいけない
本作長義(以下58字)名刀物語~長義過激派が守り、伝えるもの~
本作長義は持っている物語が弱いんだよ。
え、そうなの?
だって長義には山姥切の号が無いって明言されたから。
誰に?
徳川美術館に!
そんな会話を聞きつけたからには、ひとこと言わずにいられない。
なぜなら…私は長義過激派だから!
皆さんこんにちは。物騒なタイトルにも関わらずこの記事を開いていただきありがとうございます。
5/11徳川美術館の長義講演会に参加してきました!その時のレポになります。
レポというより、長義過激派のフィルターがかかった感想が強いのでその点は容赦ください。
といいますか私も講演会参加後色々なレポや感想、考察を読みましたが……
書き手の主観は絶対入ります。
来られなかった方に主観抜きでお伝えするにはレジェメをそのまま渡すしかないと思いました。
むしろ、同じ講演を同じ場所で聞いたのに人によってこんなにも感じるものが違うというのを楽しんでください。
【スタンス】
・このレポではゲームのキャラ考察は一切出しません。ご安心ください。
あくまで講演会の感想なので。
ただし、講演会やその後の懇親会で徳美さんからキャラのお話を割と出すので(笑)、キャラの話も多少出てきます。その際は混同しないよう「山姥切長義」と記載します
・レポ主は元々本作長義好きから山姥切長義好きになりました。
長義歴は前記事に軽く書いてあります。
平成最後の夜に徳美貸切夜間鑑賞に行ってきたレポ - yuu_honba’s diary
・徳美大好きマン。友の会マン。
・他の刀・キャラの下げは絶対にしないとお約束します。
ただし長義は推しなのでバンバンに上げます!褒めちぎります!
・基本レジェメ&メモ書きを参考にしながら、当時の私の思いをバンバンに叫んでいきます!
・講演内容はあくまで1説であり、この説が世界の全ての真実とは思っておりません。
何百年も昔の事を正確には分かりようがないと講師の原先生自身も仰っていました。
また歴史学は時代と共に新資料発見や新説が上がり変わっていきます。
・本作長義好き&山姥切長義好きさん両方に安心して読んでもらえる内容を目指しました。
ひとりひとり考え方は違うので全員は無理だと思いますが。
講演会を通して感じた長義の魅力を存分にお伝え出来たらと思います。
【講演会開始前】
・長義過激派の列並びは早い。
1時間前の15時から受付なのでその前には講堂前に列形成が出来ていたと思います。
受付担当の方が、「すいません、お待たせして。普段の講座は講座開始30分前から徐々に集まるんですが。この講演は皆さん大変熱心で14時45分には開けますね。」
いえいえ、好きで早めに待っているだけなのでお構いなく。長義のためなら足が象さんになるまで待ち続けます!!
・早く並んだ介あり、前方お席をGET!その後は講堂への出入りは自由です。
まだ開始1時間近くあるけどどうやって時間潰すかって…
長義を見に行くに決まってるだろ!!
(レポ主はそろいぶみ開始前に度々来館&貸切夜間鑑賞で長義を存分に堪能したにも関わらず、列に並んで混雑の中で長義を見るという体験がしたいが為にわざわざ並ぶ酔狂な人間です。)
・講演開始間近となりお席で待機 開始前に広報さん(男性)より予告がありました。
【予告】
— ゆう (@yuu_honba) May 11, 2019
6月8日からの徳美企画展~裂の美~
物吉の刀袋4点(実物は全点初公開、内2点は過去に情報は出したことあり)
南泉の刀袋2点(完全初公開!過去に情報も出したことない)
そして本作長義は展示期間長いので6/8~6/16まだ展示されてます!#長義感想
因みに名刀展は原先生が展示物を選びすぎちゃって前日までケース内に全然並びきれてない状態だったそうな。
・広報さん「みなさんの長義愛を受け止める準備はできています!」
【講演開始】
・原先生登場。盛大な拍手でお迎えします。
・第1回+第2回併せて1600名もの人が応募。当選は枠を広げても合計360名。
互助会・友の会(必ず一般枠当選を設ける決まりになっている)からも落選が出てしまう状況で急遽第2回の開催を決定したそうです。
・原先生「皆さんここで今年の運を使い切りましたね。」
でもわたし刀ステも当たったから
・第2回は、北は札幌~南は北九州から参加。見れば分かるようにほぼ女性です。昔は刀剣講座は厳ついおじさんばかりだった。
・原先生「ゲームの熱も冷めたと思ったら全然そんなことなかった。おかげでGWは10連勤。床屋にも行けず……。」
むしろ長義フィーバーでヒートアップしてるからね!
GWは職員皆様、本当にお疲れ様です…。
・原先生「山姥切長義がここまで有名になるとは…。」山姥切長義呼びしてました。これはゲームの方を言ってるのですね。
・第1回と同じ内容ですが、第1回参加者から間違いの指摘がありました。(スゲー)
該当箇所が来たらそのことも記載します。
【本作長義名刀物語~後北条家の家臣の証~編】
本作長義天正十八年庚刁五月三日ニ九州日向住國廣銘打 長尾新五郎平朝臣顕長所持 天正十四年七月廿一日小田原参府之時従 屋形様被下置也
・長義の磨り上げは目釘穴を避けて銘を入れている事から、堀川国広とは別人が行ったと推測される。
・あんな長い銘を掘るような几帳面な堀川国広なら、磨り上げの際目釘穴の位置も銘入れを考えて空けると思われる。
・堀川国広に銘入れを依頼する前には、既に磨り上げ後の刀になっており元々入っていた長義の銘も磨り上げ時に消えたと思われる。
・銘入れと写し作成の場所は従来説と岩田説(それに近い原説)が紹介されました。
《従来説》
堀川国広は元武将でもあるため長尾顕長と共に小田原城に籠城して小田原城内で長義の銘入れ&写しを作成した。
《岩田説》
堀川国広は文化人(学者)として足利学校が招いた。
豊臣軍に包囲された小田原城内での鍛刀は無理。長義は長尾が家臣へ託して足利に送り足利で堀川国広に銘を入れさせた。
《原説》
まず、長義は北条氏直より拝領した贈答下賜刀剣である。贈答下賜刀剣は当時より骨董的な価値を有するため実践刀として扱われない。
家の威信材として継承すべき刀剣であるため、戦時中の小田原へ持参したとは考えにくい。
以下はレジェメには記載なし口頭
また包囲網を突破して大事な刀剣を足利まで送るのはリスク大。奪われたり損なわれるおそれもある。
人ひとりや手紙ぐらいならやることは出来るかもしれない。
なので長義は最初から安全な長尾領地の足利に保管しており、敗戦濃厚となった際に、何らかの手段で足利へ長義の銘入れを命じた。
贈答品である証拠は無いが、原先生は徳美で数々の贈答刀剣を見てきたので僕はこう思うと仰っていました。
長義作の刀は名刀なので、後北条家の家宝とも言っていましたね。そんな大事なものを頂いたら勿体なくてとても戦場で使えないと。
長尾顕長に下賜する前の長義については不明なのですが。後北条家の家宝……想像するとなんだかワクワクします。きっとすごく大切にされていたのでしょうね。
長義が実践刀かどうかについては、貸切夜間鑑賞時に参加者の方が、
「本作長義は刃の幅がとても広い。刀は使われれば使われるほど研いでどんどん刃の幅が減っていくものなので、本作長義は箱入り息子かもしれない?」
とも仰っていました。なるほど刀そのものからも家宝説が推測出来るのですね……。
本作長義何回も見てるけどそこまで考えたことなかった。
しかし1つ疑問が
《岩田説&原説》はとても説得力があるけど、2018年徳美の戦国展での本作長義解説となんか違うような…
講演後に原先生に質問して「ええー!?」っとなりました。この事は後から書きます。
それとレジェメには記載されてませんが、以下説明してくれました。
「堀川国広の銘はくどい!いかにも学者っぽい。それが現在の歴史学としてはありがたい貴重な刀。」
「その詳細な銘により本作長義は工芸品という刀の域を超えて歴史的資料として非常に重要である。」
「本作長義は後北条家の家臣の証の刀。」
はいっ!私もそう思います!!(クソデカボイス)
ありがとう;;ありがとう;;
本作長義という刀そのものが歴史的観点でも、とても貴重であると以前から思っていたので、改めてこの講演会でもその点に触れていただけて本当に嬉しいです;;
しかもここまで褒めてもらえるとは;;
以上が簡単にですが尾張徳川伝来前の本作長義になります。
長義は山姥切以外の物語が弱いって?
馬鹿を言うでないよ!!
これが長義の立派な物語だ!!!!
しかも外ならぬその身にしっかりと刻まれているのです!長義の物語が!
ほとんどの場合刀の銘は作者のみでここまで、いつ・何処で・誰が・何をしたかハッキリ記載されているのは珍しいです。
折れたり燃えたりしない限り、貴重な歴史的資料としてずっとずっと残り続けます……。
長尾顕長は北条にずっと仕えていた家臣では無いです。
本作長義が現代まで健全な状態で残り続けたことにより、この刀は屋形様(北条氏直)から小田原城で長尾顕長が拝領した、この時期は確かに長尾顕長は後北条家に仕えていたとしっかり証明してくれているのです。
(長尾顕長については、講演の本筋から逸れるので説明省きます。)
「本作長義は後北条家の家臣の証の刀。」
「本作長義は歴史的資料。」
もはや
本作長義=歴史
なのでは?
(長義過激派なので大げさに言いますよ。推しは上げるものです。)
しかも長義の名刀物語はこれだけで終わりません。まだまだ続いていきますが、今回はここまでとします。
私にとってもうこの時点で素晴らしい長義の話を沢山聞けてクライマックス感があったのですが……。
次回、尾張徳川に渡ってからの本作長義でもう一度歓喜することになります;;
非常に拙い文章でしたが、まずはここまで読んでいただきありがとうございました!
(5/18追記)続きの中編を上げました。
長義の傑作~本作長義は超おもしろカッコイイぜ☆~ - yuu_honba’s diary
【おまけ】
爽やかな5月の風が吹いたら、それは本作長義の季節。
— 徳川美術館かろやかツイート (@tokubi_nagoya) May 12, 2019
純白のエルダーフラワーと、ダークなカカオの香りを纏い、カップケーキ本作長義の誕生です。良質な素材を贅沢に使って作ったオトナのカップケーキには、小さな長義と折紙を添えて・・・Bon appétit !
<5/14~6/16 当館喫茶室にて限定提供> pic.twitter.com/IZiJ63SjhQ
懇親会でいただいたスペシャルスイーツ通称「ちょぎカップ」が、徳美の喫茶でも食べられるようになりました!
しかも広報さん(女性)の本作長義&山姥切長義愛が両方ギュッと詰まっており、カップケーキの中には山姥要素があるそうです。
山姥要素は各自食べた時に探してみてください。
そのケーキを、小さな菓子切長義でぶった斬ることで、なんと山姥切長義を再現出来るのです。
みなさん山姥切長義はこちらです!
山姥切長義を再現したければ徳川美術館へいらっしゃい!!
平成最後の夜に徳美貸切夜間鑑賞に行ってきたレポ
平成31年4月30日
平成最後の夜に個人企画により徳川美術館様にて参加者35名による貸切夜間鑑賞に参加させて頂きました。
企画アカウント→ 徳美夜間鑑賞企画アカウント (@TB_sanpo) | Twitter
その時のレポ&感想になります。
【はじめに】
レポ主は2017年徳川美術館特別展「天下人の城」にて初めて本作長義を見てからすっかり虜になってしまった本作長義推し徳美好きマンですが、刀剣の知識は最近やっと学習する気になったばかりのペーペーです。
素人の感じたままの感想を書いているだけなのであしからず。詳しい方や鑑賞慣れした方から見れば鼻で笑うような内容です。初心者による初心者の為のレポ。初心者でもこれだけ楽しめるよ&今から刀剣にハマっても遅くないよ&ナイトミュージアムの雰囲気等をお伝えできたらと思います。
【注意点】
・35人という少人数貸切故に実践できた鑑賞法、ある道具を使用した鑑賞を話題に上げていますが、決して推奨しているわけではありません。ご理解頂けますようお願い致します。実践によるトラブルは当方一切の責任を負いかねますのでご了承ください。
・あくまで第1弾のレポであり、これから企画されている第2弾とは異なる点が多々あるかと思います。企画主様や職員様にその点でクレームを入れないようお願い致します。
【貸切夜間鑑賞レポ】
・貸切でも基本は通常の美術館鑑賞マナーと同様です。黙々と展示物を楽しみます。貸切にあたって特別気にしないといけないのは時間厳守!貸切の終了時間に絶対遅れないことですね。
・主催者様にて点呼、徳美職員様より入場開始の案内を受けていざ入場!何度も訪れた場所ですがナイトミュージアムの雰囲気にドキドキします。
・コインロッカーに荷物を預け、音声ガイドを借りた後展示室へ。
※これらを使用可能かについては第2弾では調整中との事です。
・最初は勿論推しの本作長義からと思いましたが、人気&第1展示室なこともあり中々の人がいたので、後ろから少し見た後、第3展示室の南泉一文字の号由来となった南泉斬猫図を見てから旧館を先に回ることにしました。
新館第2~5展示室はそろいぶみ期間中の昼間でもゆっくり見えますので是非お楽しみください。
・通常の名刀展鑑賞ルートと逆走で(これも割とルート縛りのない徳美だから&
少人数貸切だから出来ました)今回の名刀展のトリを飾る、徳美の看板刀剣!国宝・津田遠江長光を最初に鑑賞しました。
・津田遠江長光は織田信長→明智光秀→津田重久→前田家→徳川家へ伝来した刀剣。2020年大河ドラマ「麒麟がくる」にも関連しますね。
レポ主の出身地岐阜県も戦国武将縁の地として盛り上がっております。
↑貸切夜間鑑賞とはなんの関係もない写真。
・今回の展示は長光の刃文がとても見辛いのです。しかし貸切鑑賞終了後に原先生が話して下さったのですが、津田遠江長光は大変苦労されて時間をかけ照明・角度調整したが太刀姿で置くと、あれが精一杯だそうで刃文の見えるベストな配置には出来ないとのことでした。
その話を聞くまで、展示物は全てベストな状態で展示されていると私は思っていたので、職員様の苦労と美術館という沢山の人に見てもらう為の展示について考えるきっかけになりました。
・本作長義や後藤藤四郎も展示初日より見やすく調整されてるように感じたので、来館者が見易いように日々対応してくださってるのですね(感謝)
・その後は婚礼部屋に!千代姫様の婚礼品、後藤藤四郎&五月雨郷の2振りが並んで飾られている姿をじっくり鑑賞。
・そこで参加者のお一人しま様にとんでもない代物を見せていただきました。
夜間鑑賞会でお貸しした双眼鏡はこちらです。みんなをパピリオIIがなかった頃の自分に戻れなくしたい。 pic.twitter.com/PdUlFvFOrG
— しま (@osakanaoisiina) April 30, 2019
これで五月雨郷を覗くと……なんか……なんか地鉄が……肌がすごい……(語彙力は失った)
この時、パピリオⅡ所有者のしま様に図々しくもあるお願いをして次の(本来は前の)展示室へ~
・そろいぶみ勢の南泉・鯰尾・物吉エリアは夜間鑑賞会でも大人気!
メモを取られたり、単眼鏡で覗いたり、ご厚意で本作長義講座が話題の原先生にお話を伺っていたり(貸切鑑賞セットに原先生は含まれておりません。完全にご厚意です。)
特に推しの方は昼間は列形成によるスムーズな鑑賞の為に長時間は間近で見られない分熱心に鑑賞されているようでした。
私は見計らって前が空いたときや、一言声を掛けてから見させて頂きました。(貸切中もお互い譲り合って鑑賞します。)
・その後じっくり他の刀剣を鑑賞しました。レポ主が見るのに夢中でメモを取っていないため(汗)特に印象に残った刀のみ紹介します。
★展示番号39番
重要文化財 短刀 一庵正宗
音声ガイド有り
そろいぶみ最前レーンの終わり物吉の次に展示されています。徳美にある数多くの短刀の中で私は一庵正宗が特に好きです。単眼鏡で覗くとフワッと波打つような刃文が特徴的で直ぐ覚えました。(図録写真ではその波文が分からなかった……)
★展示番号16番
重要美術品 太刀 無銘 一文字
南泉一文字が絢爛豪華な丁字の乱れ刃で知られていますが、コチラの一文字も負けておりません。せっかくなので一文字同士南泉と比べてみると面白いかも。
★展示番号7番
重要文化財 打刀 池田正宗
音声ガイド有り
2018年の徳川美術館企画展「英雄たちの戦国合戦」で、北条伝来の刀:本作長義の隣に展示されていた伊達伝来の刀:池田正宗です。おかげでその時から印象に残っていました。
お前のような打刀がいてたまるか!で有名な?本作長義が当時隣だったせいか割とスリムに感じたのですが、今回の名刀展であらためて見ると、いやいや池田正宗も豪壮で威圧感のあるThe実践刀な打刀でした。隣の展示物によって印象も変わるのですね……。
解説にもある通り刃が欠けた部分があり「むしろそれが良い」と言われているのが特徴です。そろいぶみ期間中は、最前レーン内に入っておりそろいぶみ勢の前に登場します。レポ主イチオシ刀ですので是非ご注目頂けると嬉しいです。
・その後前述の通りとあるお願いをしたしま様と第一展示室へ戻ります!
そのお願いはパピリオⅡで本作長義を鑑賞させて頂くことです!我儘を聞いていただき本当に本当にありがとうございます。
今回の展示では本作長義の刃文を良く見るには基本スクワットなのですが、この時は少人数貸切なのもあり、膝を付いてパピリオⅡで覗かせていただきました。
(前述の2018年企画展では人がいない時を見計らって軽くしゃがんで長義を見た事はありますが、膝をついたのこれが最初で最後です;)
勿論昼間の通常展示ではスクワットまででお願いします。
展示物を照らす照明が丁度刀に当たる箇所に焦点を合わせると、本作長義の刃取りの上にブワッと湧き上がるような長義の幻想的な刃文が……こう……ブワッと……すごいブワッ……(語彙力をまた失う)
・終了時間も残り僅かという事で他にも長義好きさんと思われる方がぞくぞくと集まってきましたので、皆でパピリオⅡを使用して順番に本作長義を鑑賞しました。
・通常は展示室内ではお喋り厳禁ですが、本作長義の魅力、刃文や切先の事、研ぎが非常に広い事など参加者と鑑賞した感想をお話して共有出来ました。いつも一人で鑑賞をしていたのでとても貴重な体験となりました。
・徳美レポというよりパピリオⅡの紹介のようになってしまいましたね(笑)推奨している訳ではないのでその点はお間違いないようにくれぐれもお願い致します。パピリオⅡを使用しての鑑賞は新世界でとても感動したのですが、最近の徳川美術館や他施設のコラボ展示のように非常に混雑する場合、整列してスムーズな鑑賞が必要な場合には使用出来ないと個人的に思います。使用出来るとしたら今回のような少人数貸切又はかなり空いてる展示で一人じっくり鑑賞する時や、後方から邪魔にならないように覗き込む等でしょうか。何にしても道具を使用しての鑑賞はマナーと周りへの配慮、使用してもいいか心配な場合展示室内のスタッフさんに確認することですね。
・貸切終了時刻となり参加者全員で職員様にお礼を伝えてから、退館しました。その際にそろいぶみのお土産を頂きました(泣)
実は恥ずかしくてレポ主は今まで合言葉を言えてなかったので……とても嬉しかったです(泣)
【最後に】
・平成最後の夜に素晴らしい体験が出来て感謝の気持ちでいっぱいです。
徳川美術館では初の個人による貸切企画ということで大変だったでしょうに企画立上げ&纏めて下さった企画主様、親切にご対応頂いた徳川美術館の職員様、素敵な時間を共有して下さった参加者の皆様本当にありがとうございました。
・第2弾が6月1日予定(仮)にて再び企画始動し現在参加者募集を行っております。詳しい内容や注意点は企画アカウントに記載されています。
【第2弾】徳美夜間鑑賞企画アカウント (@TB_sanpo) | Twitter
※追記:申し訳ありません。こちら既に定員に達していました;;
・第1弾の参加者は私のようなペーペーから、ものすごい刀剣博士・徳美ファン・徳美初来館という方まで非常に幅広かったです。そういった経験・知識の差に関係なく皆で鑑賞を楽しめるのも一つの魅力だと私は思いました。以前美術館の番組にて徳川美術館が紹介された際「丁寧に作られた美しいものを愛でる心が大切」と仰っておりました。歴史も美術品に何も詳しくない私ですがこの言葉を忘れないようにしたいと思います。
・興味があるけど自信が無くて迷っている~雰囲気が分からなくて不安~という方がいたら後押しになればという思いもありこのレポを上げました。少しでもご参考になれば幸いです。
↑またくるね
↑そして令和1日目に早速また来ました。
【余談】
・徳川美術館の夜間貸切についてはホームページでも紹介されております。
前例を作り成功させてくださった今回の企画主様以外でも個人貸切可能です。
・いつか私も長義好きさんを集めて貸切鑑賞会とかやってみたいな……なんて思ったり……思うだけです。
・今まで一人で綺麗なものを自分のペースで楽しんでいたのですが、お茶会&夜ご飯会で前述の通り幅広い層の参加者様とお話しして大変刺激になりました。
※第2弾はお茶会&夜ご飯会は無しで、貸切夜間鑑賞のみです。
それではここまで非常に拙い文章にも関わらず、お付き合い頂きありがとうございました!